最後のツインオッター
昨日、函館空港~奥尻空港間を飛んでいたエアー北海道の「ツインオッター」が最後のフライトを終え、日本の空からこの機体が消え、私には感慨深く、いろんな思い出がよみがえってきました。
ツインオッターは、19人乗りの双発プロペラ機で、離島までや小さな空港を飛んでいました。
実は、私は以前、職場は空港だったのですが、最初の勤務地が道東の中標津空港、当時は1200メートルの滑走路、日本近距離航空(現、エアーニッポン)のツインオッターが飛んでいるだけの空港でした。
何の施設もない空港でしたから、天気が悪かったり、日没になってしまったら飛べなくなり、たまに空港にツインオッターがおかれたままになることもあったのですが、1~2人で簡単に押せてしまったり、修理をしているコックピット(と言っても客席と一体)に入れてもらえたり、「精密な機体」のイメージが一変しました。
その後、函館空港では、奥尻空港まで交替で巡回に行っていましたので、何度もツインオッターのお世話になりました。
天候の悪い日に満席に近かったら、体重を聞かれ、場合によってはその場で測られることもありましたが、小さな機体なので気流の変化がそのまま機体に伝わってきますし、嫌がる人が多かったのですが、私には楽しいひとときでした。(もしかしたら私は、野鳥だけじゃなく、飛んでいるものは何でも好き?)
そんなに高い高度を飛びませんから、下の景色がよく見えましたし、夏の日本海のきれいさ、冬の吹雪も含めていい思い出ばかりの機体ですし、奥尻島でのウニ丼や、霧で欠航になり、30分で帰ってこられるところをフェリーとバスを乗り継いで4時間かけて帰ったり、フライト以外のいろんなことも思いだされます。
画像は、欠航で中標津空港に留め置かれたときのツインオッターですが、写真をデジカメで撮りましたので、あまりきれいではありません。
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最後のスーパージャンボに乗った翌日の2006年3月11日(土)、3月31日で [続きを読む]
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トラックバックさせていただきました〜 このフェリーは北九州〜徳島〜東京間を
運行しているよ〜!
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利尻・礼文に何度も行ってます。でも、すべてフェリーでした。船に弱いけど、風情があって好きなんです。稚内との空路はこの機種でしたよね。でも、一度も乗らないうちに礼文便はなくなり、利尻も千歳からの便のみになってしまいました。
中標津空港は一度使いました。勤務地だったそうで、こんなことを言うのも申し訳ないのですが・・・。空港正面左にこの空港を作るに尽力した元中標津町長の胸像がありました。でも、失礼ながら、これで採算が取れているのかなと心配になりました。町の財政を圧迫なんていうことはないのでしょうね~?
投稿: 摩周(@東京) | 2006年4月 1日 (土) 17時56分
摩周さん、こんにちは。
私がいたのは25年ぐらい前だったのですが、銅像は新空港になってからでしょうか?
う~~ん! 思い出せない。
あの頃は、天気が良かったら定期便が摩周湖の周りを回ってくれたりしたらしいですが、今はもうあり得ないですね。
>でも、失礼ながら、これで採算が取れているのかなと
>心配になりました。町の財政を圧迫なんていうことは
>ないのでしょうね~?
今の空港は、北海道が設置者(と言っても90%は国の補助金)と管理者なのですが、古い空港は設置者が北海道で管理者が中標津町でしたし、照明灯も一切ありませんでしたから、全体では赤字でも町の財政は圧迫していなかったと思います。
それに、国の建物からは、固定資産税にあたるものが入りましたし、揮発油税も町に入りましたし。
投稿: shima | 2006年4月 1日 (土) 19時21分
3月11日に奥尻までツインオッターに乗りに行ったのですが、とうとう最後の日が過ぎてしまいました。関西ではニュースにもならないので、最終日のフライトはどうだったのでしょう。何はともあれ、ご苦労さんでした。
投稿: SILVER KRIS | 2006年4月 4日 (火) 17時30分
こんにちは。
3月11日とは、本当に最後の最後ですね。
> 関西ではニュースにもならないので、最終日のフライトは
> どうだったのでしょう。
北海道でもあまりニュースにならず、HACに引き継がれたのがメインだったようです。
ただ、機体は、外国でまだ活躍するようです。
投稿: shima | 2006年4月 4日 (火) 20時16分