シマフクロウのヒナが37羽に
今朝(2021年7月8日付)の北海道新聞朝刊によると、環境省が5月~7月に道内で行った調査によると去年より8羽多い37羽にシマフクロウの雛を確認し、1985年度の調査開始以来の最高数になったとのことです。
じょじょにシマフクロウは増えてきているそうですが、棲める環境は増えていないように思いますし、今後は人間による影響が気になります。
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今朝(2021年7月8日付)の北海道新聞朝刊によると、環境省が5月~7月に道内で行った調査によると去年より8羽多い37羽にシマフクロウの雛を確認し、1985年度の調査開始以来の最高数になったとのことです。
じょじょにシマフクロウは増えてきているそうですが、棲める環境は増えていないように思いますし、今後は人間による影響が気になります。
2020年9月10日(木)付の北海道新聞朝刊によると、環境省は11月から3月にかけて行われている釧路市と鶴居村の計3カ所でのタンチョウへの給餌量を2015年度から毎年1割ずつ削減してきました。
それは、タンチョウが集中しているため、感染症などの心配があるためで、給餌量を削減することで生息域を分散させようとの計画でした。
しかし、急激な削減によりタンチョウの個体数が減ることを懸念して削減ペースを緩めることを決めたそうです。
そのうえ、9割以上の個体が釧路管内に集中しているそうです。
給餌になれてしまったタンチョウを給餌量を減らすことだけで分散させることは難しく、今でも牛舎等に現れて家畜の餌を食べる等の弊害があるのにその問題が増えるだけでは?と思っていました。
また、他の地域に行った方が餌を得られるとのことがない限り、分散は難しいのでは?と個人的に思っていました。
かといって、釧路管内以外で給餌を行うのは問題解決にならないですし、冬の問題より営巣場所を広域に得られることの方が良いのではないのでしょうか?
2020年8月30日(日)付け北海道新聞「日曜navi」の「時を訪ねて」は「石狩・勇払運河構想」でした。
これを読んで思ったのは、ちょっとテーマからずれるかもしれませんが、「旧長都沼は実際にあったんだな」と言うことでした。
今、長都沼と呼ばれているところは、もともとあった長都沼の中にあるようですが、そのときの一部ではなく、新たに作られた排水路の幅が広くなっているところを通称で呼ばれているところで、旧長都沼と呼ばれることもあります。
しかし、記事で書かれている旧長都沼は、紙面にあるイラストの地図からすると今の長都沼と呼ばれている場所の千歳市側を中心にその周囲の畑や荒れ地を含んだところなのかもしれません。
記事によると、長沼町側は旧長都沼と千歳川を結ぶために学生が掘ったところで、全部ではないようで、今の長都沼とは違うようです。
この点は、何かを読むたび、わからないことがどんどん増えていきます。
もう一つ、石狩・勇払運河構想は石狩川河口から勇払川河口に至るルートらしく、イラスト地図ではウトナイ湖の上を通るようで、最初の計画は戦前の話なので、実現していたら今はウトナイ湖は無かったのかもしれません。
千歳川水域の洪水防止のため、千歳川水系にある6つの市町にそれぞれ、遊水地が作られ、先に完成していた長沼町の舞鶴遊水地以外も今年、完成しました。
先日、そのうちのひとつ、北広島市の東の里遊水地へ行きました。
通常時の遊水地内の利活用として北広島市としては、市民からの要望で野球場を作り、それ以外のところは水鳥も呼べる自然環境として残すことになるようです。
しかし、遊水地内の眺めると、ガン類や舞鶴遊水地のようにタンチョウが来ることはちょっと無理かな?と思いました。
カモ類は来そうで、どのように整備されるのかが気になります。
先週、タイトルの講演を聴いてきました。
日本鳥学会津戸資金シンポジウムとして持たれたようですが、今流行りのドローンを用いた鳥類のカウントがメインでした。
鳥類のカウントというとNHKの紅白歌合戦を思い出す人が多いと思いますが、実際に参加した方の話しではあちらは実際にはカウントしていないのだとか?
実際の鳥類のカウントは、私も何度か参加したことがありますが、動いている野鳥ですし、地形の陰で見えないものもいたり、どこまで正確かがわからないところもあります。
それでドローンで、と言うことなのですが、こちらも難しいようで、真上から写した野鳥と水面の波や水草と見分けが付かなかったり、今のところ、試行錯誤のようです。
しかし、正確な野鳥の数を知ることは野鳥の保護にも繋がりますが、どこまで正確か?と言うところや高齢化等でカウントに携わる人の問題もありますし、大切なことと思いますが、問題は山積のようです。
タイトルの講演会がウトナイ湖サンクチュアリネイチャーセンターで行われました。
テーマは「石狩低地帯にタンチョウが帰ってきた ~古文書から探る、昔タンチョウがいた頃の話~」でした。
かつては石狩低地帯に生息していた多くのタンチョウが、道東の一部に生息するのみになっていました。
しかし最近、むかわ町で繁殖が確認され、石狩低地帯でタンチョウが目撃されるようになりました。
少しづつ帰りつつあるタンチョウが今後はどうなっていくのか、古文書から探っていこうというテーマでした。
講演の中で、1891年当時の新聞記事によると今とは逆に、釧路地方は絶滅にいたって残るは千歳夕張地方のみとなったと書かれていたようです。
また今、舞鶴遊水地や丘珠空港等のタンチョウが姿を見せているところは、明治時代にはタンチョウが多く見られた湿地帯だったとかで、遺伝子があるのか、そのようなところに戻って来ているようです。
また、1892年の新聞記事には、繁殖区域だった石狩低地帯からタンチョウが消え、きちんとした保護活動をしなければ幾百年経っても繁殖は難しいと書かれていたそうで、それから130年経ってむかわ町などで繁殖するタンチョウも現れましたが、当時の新聞記事を思い起こすことが大事だと感じました。
2019年1月19日付の千歳民報1面にも載っていましたが、マイフィールドのひとつにしている林東公園は、約1万6千平方メートルと小さな公園ながら年間約60種(筆者の個人データ)の野鳥が確認出来た場所ですが、公園が整備されてから20年以上が経過し、施設も老朽化していることで再整備の計画があり、その前に千歳市が地域住民や公園の利用者によりワークショップを4回に渡り開催しました。
それも1月16日(水)の第4回目の開催で終了しました。
様々な立場の方々が出席していましたが、基本方針が決定し、環境に配慮して「自然のゾーン」と「利活用のゾーン」を振り分けていくことが結論となりました。
今後、2019年度には季節毎に年4回の動植物の調査が始まり、2021年度以降の工事を目指しているようですが、実施設計が決まった時点でもう一度、同じメンバーでのワークショップが予定されるようです。
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